エペソでは、「聖母マリヤの家」が深く心に残っている。聖母マリ ヤは、使徒ヨハネとエルサレムから移り住み晩年を過ごした家である。家だった場所は、小ぎれいに管理され礼拝堂となっていた。マリヤの寝室とされる部屋が隣にあった。静けさの漂う環境で旅人の私たちでさえ安らぎを覚える場所だ。イエスの母マリヤは、最愛の息子、イエスの十字架上での凄絶な死に深く傷ついた後、この土地にやって来て、使徒ヨハネとひっそりと平和に過ごしたのであろうと憶測する。使徒ヨハネは、イエス様が十字架上で語られた「そこにあなたの母がいます。」との遺言を忠実に守ったことが証される一つの場所であると思った。 傍らに咲き誇っていた藍色のアジサイの大輪の花が、マリヤの家を温かく見守っているようだった。
エペソを後にしてミレトに向かった。ここミレトはローマ時代の遺跡が残る。また、ミレトはギリシャ哲学誕生の地でもある。BC11〜5世紀ころは、イオニア諸市の文化と学問の中心でもあり、多くの学識者を輩出している。ミレトはパウロが告別説教した場所でもある。告別説教をしたシナゴーグ跡の野外にて、私たちは主日礼拝を持った。メ ッセージは、藤原先生がして下さった。みことばは、「使徒の働き」20章の17節から38節で、当時のパウロの心情を語って下さった。牛の放牧が近くに見られる、のどかな田園での藤原先生のメッセージの一言一言が私たちの心に響いた。みな一人ひとり、パウロの足跡に思いを馳せながら様々な感慨に浸っているように見えた。
礼拝を終えてバスまでの野原の中の帰路、着古した作業服を身につけ、牛の世話をしていた一人の青年が、私たち一人ひとりに歓迎のしるしに小さな野の花を手折ってくれた。青年の素朴な純真な心に打たれた。喧騒の都会であわただしく過ごしている私たちが、忘れて いる“何か大切なもの”をこの青年の中に見たような気がした。青年の純朴な恥じらいのある笑顔が今尚心に深く残っている。
この夜の宿は、石灰棚で有名な観光名所パムッカレの大ホテル、リッチモンド・サバンナであった。サウナと温水プール常設のホテルで、外の石灰棚に足を浸け遊んで来た私たちは帰ってすぐサウナとプールで体の疲れを癒した。
パムッカレを後にした私たちの次の訪問地は、ペルガ見学を得てアンタルヤに入った。マルコが、パウロ・バルナバの一行から離れ、エルサレムに帰ってしまったのは、ベルガであった。(使徒13:13)遠く連なるタウルス山脈が見えた。パウロも第二回伝道旅行でこの難所タウルス山脈を通ったということである。
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