トルコ
◆副学院長 世良田湧侍
お茶の水聖書学院では、1994年にイスラエルを、1996年にヨルダンからイスラエルへ入る旅行をいたしました。いずれも当時の「聖書地歴」の学科の延長でクラスの受講者の方々を中心に、現地へ出掛けて学ぶ体験旅行でした。その後、1998年にはトルコ・ギリシャを廻りました。その次に2000年に向けての企画は、イスラエルでの中東和平のプロセスが不安定となり、現地ではインテファーダの投石による暴動や爆弾テロが頻繁に起こり、ゆっくり旅行が出来ないという状況になりました。したがって2000年の計画は中断せざるをえませんでした。昨年トルコ方面に切り替えて再開されましたことは感謝でした。
遙かなる聖地の旅の想い出を 歌を詠みつつ巻き返さなむ
成田を発ってから3日目の夕刻、すでにイタリアのローマでの史跡を2泊の間に観光した後、ローマ経由でイスラエル国際空港、テルアビブ空港へ到着したのは1994年3月18日(金)現地時間で夕方の4時頃のことでした。
空港からは夕暮れ時のバスでテルアビブ市内のホテルへと走り、イスラエル最初の夜をダン・パノラマ・ホテルで過ごしました。このホテルは地中海に面する海岸に建っており、すっかり日の暮れたテルアビブの夜景がまばゆいほどに輝いておりました。
その夜は、無事に到着したことを一同で神に感謝しました。旅の疲れでぐっすり眠り、翌朝、ホテルから海岸に出て波打ち際に行ってみますと、朝の穏やかなペースで地中海の波がうち寄せては引いているのでした。
テルアビブは、歴史と街の古さではエルサレムにはかないませんが、人口や商工業の盛んな国際都市としては、今日イスラエル最大の都市です。この街の南側には、聖書では有名なヨッパという港町が隣接しています。
翌朝、デボーションや食事を済ますと、バスで最初に立ち寄ったのがヨッパでした。ヨッパのことは、旧約聖書のヨナ書に出てきます。ヨナは神の召命を避けて、この港へやってきます。そこにちょうど停泊していたタルシシ行きの舟に、渡りに舟とばかり飛び乗って船出してしまいます。ところが間もなく舟が嵐に遭い遭難しそうになって、神へ逆らって逃避行をしていたヨナが咎められたのでした。このヨナの物語で有名な港町です。
新約時代には、ペテロが身をよせた、皮なめしシモンの家の話があります。バスでその家の近くまで行き、あとは徒歩でシモンの家へと向かいました。写真の今の家は、何回か建て替えた家だそうです。
近年のテルアビブでは、19世紀末からパレスチナへ帰ることを願うユダヤ人たちが、街の周辺の土地を購入してきました。1948年5月、イスラエルが独立するとき、このテルアビブ・ヨッパは帰還するユダヤ人で溢れました。
年経れば変わり果てなむ いにしえのペテロの訪ねし シモンの家も
ガリラヤ出身のユダヤ人ペテロにとって、ヨッパは、かなり遠方になります。またそこで、カイザリヤへ向けて行くようにとの神の幻を受けて、しばしたじろぎ、気持ちの整理をするのもよくわかるような気がします。(使徒九43~十章)
ペテロのユダヤ的先入観で異邦人に福音を伝えることが妨げになっていたのですが、神からの幻でそれを打破され、コルネリオというローマの百人隊長への宣教をすることになりました。その結果、福音がユダヤ人から異邦人へと拡大していくことの先鞭をつけたのでした。
地中海臨みて初夏の悲劇観る 古代の貴族 歴史語るや
野外劇場は、ローマが支配した都市には必ずと言ってよいほど建設されていました。ここの劇場は海岸に向かって建てられています。一番下の平らなところで行われる舞台で演じられるギリシャ悲劇などを、涼しい潮風に吹かれて観劇できるようになっています。
カイザリヤの近くの海岸に出てみますと、ローマ時代に建設されためがね橋の形をした長い導水橋が連なっていました。ローマの灌漑土木工事は、このあたりにおいても大きな影響力を持っていたのです。地中海沿岸にはヨッパから北へ幅16キロ、南北60キロのシャロン平野が広がっています。バスは、その平原を北上してカルメル山へと向かいました。カルメル山は、独立した峰ではなく、なだらかな連山です。標高は高くても546メートルで、その一カ所、西側に地中海が展望出来るところにカルメル山でも、見晴らしのよいところに、旧約聖書列王記上17章以降に登場する預言者エリヤの活動したことを記念する場所があります。その入り口にエリヤの像が剣をかざして建っていました。(ユダヤ人は像を残しませんので、異例の建造物といえます)。エリヤはこの辺でバアルの預言者と対決したものと思われます。西は地中海、北はキション川がかすかに見えました。さらに東に今はディール・エル・ムフラカと呼ばれる山(482メートル)にエリヤの修道院がありますが、そちらへは立ち寄りませんでした。
バアル神応えなけれど エリヤには火をもて答える生ける神なり
カルメル山を下ると、バスはなだらかな丘陵地帯を通り南ガリラヤ丘陵にあるナザレへと向かいます。途中は南にエズレルの野またはメギドの谷が開けています。
ナザレは、今はヨルダン西岸地域でアラブ側の住居が立ち並ぶ街です。その一角に、告知教会が建っています。ここは聖地ツアーの中に必ず組み込みたいコースです。
ナザレでの生家のあとや告知記念教会を見た後、さらに北に5キロほどのカナへ向かいました。そこはイエスが結婚式で水を葡萄酒に変えたという所です。観光のおみやげにと、カナの葡萄酒が小瓶で売っていました。
その後は、いよいよガリラヤ湖へ向かいました。次第に海抜の表示が下がり、海抜0メートル点を通過。湖畔のゲノサレに着きました。